猫
ぼんやりと、都会の明るすぎる空を見上げる。
星が望めない空は、月と、、、あの彗星が我が物顔で支配しているよう。
とはいっても、彗星が望めるのは自分を含めて複数の人間だけ。
彼処にいるのは、絶大なる力を持った、電脳を、現実を、時さえ繰ることの出来るモノだ。
『しゃっしゃっしゃ。どうしたいつも以上にしけた面して。』
「なんでもないわ。」
ちゃかすような口調にも、抑揚の欠けた静かな声で返す。
PETの中にいる彼女のナビはつまらなそうに、口元をゆがめる。
彼女はそれを一瞥しただけで、また空を見上げる。
唯空を見ているだけ、彼女から、感傷じみた雰囲気も、感慨じみた雰囲気も感じられない、本当に唯見ているだけなのだろう。
確実に美人の部類にはいるだろう、冷たく切れるような貌は感情を映し出さないせいで、人形のようだ。
空を見上げる美女。
此処に絵をたしなむ者が居るならば、すぐさま筆を取りたがるような構図だ。
彼女のナビは、そんなに見上げていて首が痛くならないのかと、妙な心配を抱く。
彼女は結構な時間空を見ている、他にすることはいくらでもあるだろうに、それを幾分遠回しに言ってみるが、今度は言葉すら返してくれない。
答える価値なしと、めでたく判断されたようだ。
ナビがぶちぶちと文句を聞こえよがしに呟くが、彼女はそれにも反応しない。
そして、何を考えたのか、唐突に彼女は、フェンスを乗り越えて何も支えのない空に身を躍らせた。
『ちょぉお…っつ!?』
此処を何階だと思ってるんだ!?
そんな、不安は一瞬後にかき消えた。
彼女は、ひらりと、空中で体をくねらせると、音もなく着地した。
重力からその一瞬だけ解放されたような、しなやかな動きだった。
『てめ、何考えてんだぁっ?死ぬだろうが普通!!』
「死ねないわ。」
『へ?』
彼はあまりの即答に虚を突かれたようにうわずった声を上げた。
彼女はデューオのプローブ、普通の人間ではないのだから。
それにしても、周りに人が居なかったから良いものの、居たら大騒ぎになったに違いない(雨ならともかく人が降るとは!)。
そして、彼女は何事もなかったように降りた地上でまた空を見上げる。
そう、私は死ねない。死なないこの体。
今までの普通じゃない人生、普通の人間の体なら何度死んだだろうか?
だが、実際、私は何度も死んだ。けれどそのたびに息を吹き返した。
どんな重傷を負ってもだ、試したことはないが、首を刎ねても、もしかしたら死なないかもしれない。
『たっく、薄気味悪い体してんな…』
「どういたしまして。」
否定はしない、だが、データの塊であるナビも似たようなものではないのか?
データをコピーしたりすれば、傷ついてもデリートされたとしてもバックアップできる。
その思考を読みとったのか、彼が顔を顰める。
『おいおいおい、一緒にすんなよ?俺達は確かにいくらでも作り出せる安っぽい存在かもしれんが、あくまで保存してあった状態でだ。データを保存していなければ、どんなにいくら体を構成しているデータが同じでもな、今まで居た奴とは違うもんになるんだよ。てめーみたいな、デリートされた…じゃねえ死んだそんまんまの存在から何度も再生する事なんてナビでも不可能なんだよ、分ーたかよ。』
「……………」
『ん、だよ…』
急に黙り込んだことに不振そうに語気を落とす。
「いや、あまりにもらしくないこと言うから。」
『…てめーよぉ…結構その台詞腹立つって知ってかぁ…?』
「後、あまりにもごちゃごちゃ言い過ぎて、要点がよく解らないわ。」
『そーかそーか…喧嘩売ってんだろ…このアマぁ…ッツ!?』
恐らく無意識、無自覚の発言だろう。
「別に売ってなんて…」
先を紡ごうとした言葉が止まった。
『あん?どうしたんだ?』
彼女の視線の先にあわせてみる。
子猫が死んでいた。
車か何かに刎ねられたのだろう、だらりと薄く開いた口から舌がのぞき、半開きの乾ききった、苦痛を残したままの目が印象深かった。
その小さな体から流れ出たのだろう小さな血溜まりは、既に黒く変色していることからある程度時間が経った事が分かる。
『あ〜あ、かわいそーに。』
全く、声に込められた意味とその言葉に意味があっていない。
彼からすれば、感傷も憐憫も感じられないのがよく解る。
『そのうち誰かお人好しが、てあつーく、葬ってくれるか。現実的なお方が、保健所に通報してくれるって。とっとと行こうぜ。って、をいッツ!!』
軽快に滑っていた彼の舌が止まった、と言うか止められたというか。
彼女のその意外な行動に。
普段の彼女からは想像することすら出来ないような、行動だったのだ。
その手が汚れることも構わず、その汚れた死骸を優しく抱き、その子猫の目を閉じてやったのだ(死後硬直というものは、更に時間が経てば再び軟化する、かなり時間が経った後のことだが)、そしてぱらぱらと血の粉が降りるのが見える。
『おいおい!!汚れるってきったねーぞ!!うっへ〜、その感覚信じらんねーぜ。』
「五月蝿いわね。私がどうしようと勝手でしょう。」
かなり血の抜けてしまった体は、乾いていて軽い。
以前、姉の元に連れて行った猫とは少々体躯が違うにしろ、僅かに匂う腐臭にしろ、生きている体と死んでいる体は何処か決定的に違うものを感じた。
手足が妙な方向へねじ曲がってしまっている、治してやろうかと一瞬考えたが、死んだ後の体にしろ痛みを与えるようなことは少々忍びなく感じ迷う。
「治した方が良いかしら…。」
『なにがだよ。』
「貴方には一生無縁のこと。」
『ああ、そうかよ。』
そのまま、子猫の死骸を抱いたまま歩き始める。
『お〜い、おいおい。そんな小汚い猫の死体なんぞどうすんだよ。食うのか?しゃ〜しゃっしゃっしゃ。』
答えなし、先ほど同じく答える価値なしと、めでたく判断されたようだ。
ふと、彼女は何を考えたのか、今居る街の地図をPETに展開する。
そして、現在地辺りの地図を拡大し、ふむと、一人頷き、また歩き出す。
彼女の行動に、ナビの方は皆目見当も付かない。
目的地が定まらない足取りとは違うことから、地図で目的地を定めた事らしいのは分かった。
『公園?んなとこに何のようがあんだよ。』
彼女が向かった先は公園だった。
その公園は、この街の市長だか誰かお偉いさんが緑化運動だ、市民の憩いの場とかでかなり力を入れている公園だと、誰かが言っていたような気がする。
昼間なら青々とした樹木達の木漏れ日や、子供達の笑い声が響きさぞかしほのぼのとしているだろう。
しかし、今は夜。僅かな街灯を除いて光はなく、無駄に大きい樹木がおどろおどろしく、怖いぐらい静かで、昼間の印象とは百八十度違う。
今にでも、モンスターが現れそうだ。
おまけに夜間立ち入り禁止の看板がでかでかと入口に立ちふさがっている。
『お前何しに来たんだよ…』
なんとも言えなげんなりとした声音だ。
そして、今度も何を考えたのか看板無視ですったすったと、公園内に入る。
『おいっ?』
そして彼女は、園内のあまり人が立ち入らないだろう隅に向かった。
其処は樹木もまばらで、踏み固められていないせいか地面も比較的柔らかい。
子猫の死骸を、優しく地面に横たえて手で地面を掘り始めた。
それで漸く彼も、公園に来た目的が分かった。
子猫を土に還しに来たのだ。
こういったところの土というのは、草の根や木の根が邪魔してかなり掘りづらい。
だが、彼女は細い手でどんどん穴を深めていく。
見た目以上に力があるらしい。
ある程度穴が広げると、猫を穴の底に置いた、そして、穴を埋め始めた。
掘る時間より、幾分早く穴は埋まった。
そして、彼女は、近くにあった大きめの石をその上に置いた。
「…………」
ふと、彼女は、苦痛を残したままの猫の目を思い出した。
あの子猫は、即死ではなかったのだろう。痛みに苦しんだ最中、死にたくないと思ったはずだ、でなかったら目にあんな感情の色は残せない。
痛くて、辛くて、苦しくて。
多分あの子猫は、自分が死ぬなんて少し前には想像もしなかっただろう。
おそらく、車か何かに刎ねられる前は、何をしようか、何を食べようか、何処に行こうかと、当たり前のことを考えていた。
痛みより先に来る衝撃に一瞬、意味が分からなかったはずで、地面に叩き付けられ、痛みに襲われたとき何を考えただろうか。
死んだ子猫と、死ねない私。
まるで哲学だ。
自嘲の笑みを浮かべる。
軽く手に付いた土をはらうと、立ち上がった。
答えのない式を解くのは自分にはあわない。
今自分がした行動だって、何となくだ。
『しゃ〜しゃしゃしゃ。今日はどうしたぁあ?熱でもあるんじゃねえのか?』
「そうね。」
『は?』
あっさり肯定されて、彼は素直に驚いた。
こんな素直な彼女はそうそうお目にかかれるものではない。
「さてと、手でも洗いに行きましょうか。」
彼女は、真新しい墓に振り返りもせず、公園の入口に向かった。
そして空を見上げる、星の望めない暗い空が明けはじめた。
街明かりより明るくなった空は、月と、、、彗星の支配が僅かに薄れたような気がした。
言う言葉が見つかりません。
何故か、固有名詞を出さないように頑張ったssです。
ゆりこさんとニードルマン氏に出演していただきました。
ゆりこさんといえば、猫!と思い、がんばって猫さんを出演させました。
なんだが、ニードルマン氏の正確が全く違くなりました。
ゆりこさんの正確はこんな妙でしたっけ?もっとクールだったような…。
それにニードルマン氏も、つっこみ役に回ってヘタレ気味になってしまった…(ごめんなさい)。
あれ?いつも書いた後に思うんですが私に何が書きたかったんでしょう?
BY シンプル