真夜中の音



      静かだ…。

 鳴海は、呟いた。

 ゾナハ病の生き残りの人々が集まる、人間の砦。
 夜は非常に静かだ。
 皆、夜は眠る。
 眠れない者もいる、しかし、大概の人は夜になるとすぐに寝る、嫌でも眠ろうとする。

 暗闇を恐れるからだ。

 自動人形(オートマータ)に、襲われこれ以上ない恐怖を味わった。
 闇は人の弱い部分を引きずり出す。
 皆、己の夢へと逃避する。

 夢の中の一時の幸せを得るために。

 鳴海は、夜警をしている。
 もしかしたら、自動人形(オートマータ)が襲ってくるかもしれない。

 そう思って彼は、警戒を欠かさない。
 耳が痛いほど静かな夜。
 己の足音がやけに耳障りなほど。

 本当にこの屋敷は広い。

 見回るのに小一時間はゆうにかかる。

 ふいに、フランシーヌ人形の生まれ変わりの、部屋の近くに来たことに気が付いた。
 舌打ちをした。

 (胸くそワリィ…)

        あの女は、フランシーヌ人形の生まれ変わりだ。ゾナハ病の病原。

 (人形め!!人形め!!)

 彼の心に彼女への憎悪が渦巻いた。
 その部屋の前ですら通りたくない、遠回りをしようと踵を返すと。

       ボロン……。

 不意に楽器の音が響いた。
 彼は、反射的に身構えた。

       どこだ?どこにいる?。

 その相手は。

 「相変わらず警戒心を怠らないことだな。君らしい」

 その扉から少し離れた、月光が差す、廊下の窓際に誰かが立っていた。

 逆光で一瞬誰か判断が付かなかったが、それはアルレッキーノだった。
 リュートに手をかけたままだ。

 「てめぇか…相方はどうした」

 鳴海は何時でも、撃てる様に構えたままだ。

 「パンタローネのことか?彼なら部屋の中でフランシーヌ様を危険がない様に見ている。彼は内部から、私は外部からの守りをしているのさ。…それより構えをほどき賜え、君を襲うつもりはない」

 わざとらしく肩をすくめた。

 「うるせぇ…人形の言うことなんぞ信用できるか…」
 「…怖い、怖い…」

         ボロォン……。

 リュートに手をかけ、困った様な顔をしながら、鳴海に近寄った。
 鳴海は、眉をひそめた。

 「何のつもりだ?」
 「君は本当にフランシーヌ様がお嫌いなのだな」
 「…!!当然だ…ッ!!」
 「何故だい?ナルミよ?」

 そのふざけた様な返しに。

 「解ってるだろうが!!あいつのせいで!!みんながゾナハ病なんていうふざけた病になったんだ!!!てめぇだって!!一番解ってるだろうが!!ゾナハ病をまいたことのある張本人だろうが!!」

 鳴海の怒声が、余韻として残る。
 鳴海の眼を、並んだ二つの瞳が深く覗く。

 「確かに…私達は初めてゾナハ病をまきちらした。」

 すぐさま何かをを察し、アルレッキーノは。

 「君がフランシーヌ様を憎む気持ちはよく分かる。だが…」

 すっと、アルレッキーノは、鳴海の頬に形の良い長い指をはわせた。

 鳴海は、その指から逃れる様に少し体をのけぞらしたが、アルレッキーノは、ゆっくりと顔を鳴海の耳元に近づけた。

        君は迷っているのだろう…?

 そして、低く、聞こえるか聞こえない程度に、呟いた。

 「な、何のことだ…」

 その言葉に、明らかに動揺が生まれた。
 その反応を確認すると。

 「はやり…な」

 耳元から顔を離し、鳴海としっかりと向き合う様した。

 「君の眼には迷いの色がある…」

 その眼から逃れる様に、目をそらすことさえアルレッキーノは許さない。
 眼をそらさぬ様に、両手で鳴海の顔を固定する。
 体温のない、冷たく堅い機械の感触が両頬に染み渡る。

 「君がサハラで私を倒したときの眼の色は、今でも鮮明に記憶している。」

 アルレッキーノは更に言葉を続ける。

 「あのときの君の瞳の色は私達を倒すという、信念に染まっていた。そう…その色一色…美しいほど混じりの無いね…」
 「…何が…言い…たい…」

 鳴海の頬を冷たい汗が伝う。

 「しかし今の君の瞳の色には…さっきも言ったように迷いがある…」

 鳴海の目が大きく開かれる。
 もう一度、耳元に顔を持ってゆくと。

      君は、迷っている。抵抗しないフランシーヌ様に…、そして何より…君を一途に見る…フランシーヌ様に…。

 その言葉を聞いた瞬間、鳴海は左手の剣でアルレッキーノに斬りかかった。
 しかし、空を切った。

 「うるせぇ!!違う!違う!!」
 「違わない…」

       ボロォン……。

 リュートに手をかけながら避ける。

 「君は、昼間のフランシーヌ様を見ただろう。」
 「それが…!!どうした…!?」

 今度は、右手で拳を入れようとするが掠りもしない。

 「フランシーヌ様は…人間に危害を加えようとするなら…今いくらでも出来るだろう…しかし何もしていないではないか…」
 「はっ!!てめぇが怪しまれねぇようにするためだろうが!!」

 右足でまた空を切る。

 「それだけではなくフランシーヌ様は此処で一生懸命に病に伏せった人間達に尽くそうとする。何故そうするのか?君は迷いだした。違うか?」
 「……ッッ!!」

        ボロォン…。

 寝静まる館の廊下で、飛び跳ねる一つの影と、拳を撃つ影。
 飛び跳ねる影は、滑稽にしかしどこか優雅な仕草で、拳を撃つ影から逃げる。
 飛び跳ねる影からはキリキリと、機械仕掛けの音が響き、拳を撃つ影からも、ギシギシと筋肉と義肢の擦れる音が響く。

         ボロン…。

 やけに生々しく、飛び跳ねる異形の楽器から紡ぎ出される音色。

 沈黙と、月光が支配する館の廊下に、やけにはっきりとその存在が浮かび上がった。

 どれ程のその追いかけっこが続いただろうか。
 拳を撃つ鳴海は、既に肩で息をする程度にまで疲れ果てた。
 、あれだけ走ったとはいえ、しろがねの彼にココまで疲れさせるのは難しい。
 アルレッキーノは自動人形(オートマータ)体力に限りなど無い。
 思わず壁に背を預けた鳴海に、アルレッキーノは。

 「何故君の攻撃が私に当たらなかったか、解らないだろう、ナルミよ。」

 纏まらない呼吸の中で、鳴海は頷いた。

 「ナルミ、君は、私より強いそれは事実。その攻撃が当たらない理由は簡単だ。」

 俯いていた鳴海の顎をしゃくる。

 「その迷いだ。迷いは焦りを産み、心を乱し、思考を鈍らせる。そのため君の攻撃は私に掠りもしなかったのだ」

 その言葉に、鳴海は。
               オートマータ
 「はは…なるほどな…自動人形に指摘を受けるとはオレも落ちたもんだぜ…」

 自嘲の笑みを浮かべた。

 「明日もまた、動くんだろう…早く寝ることだ…」
 「はっ…しろがねは…十日は眠らなくとも…」
 「平気ではないだろう、ナルミ。君はここに来てから殆ど寝ていないだろう?その証拠に毎晩毎晩この屋敷を見回っているだろが…」

 「うぐっ…!」
 「それに昼間は、忙しそうに動き回って食事ですら満足に取っていない。」
 「……」

 此処まで言い当てられたらぐぅの音も出ない。

 「しろがねといえど、生きているのだろう?食事睡眠を最低限でも取らないと弱るぞ。混乱しているとはいえ、敵の自動人形(オートマータ)に一撃も当てられないどこかの、しろがねが良い例だ。」

 むすっと、顔をしかめる鳴海。

 極み付けはこれ。

 「仮にも、年上の言うことは東洋の教えでは従うモノだろう。」
 「へい…へい…(そういや、こいつはオレより遙かに年上だな…)」
 「返事は一回でよいし、後『はい』だろう?」
 「ッッ!あーっ!もうっ!!わぁーたったよ!!!!」

 完全に揚げ足を取られてしまった。
 その時、鳴海の表情が、暗く沈んだ顔から、初めてあった頃の様な彼の元の暖かな顔に一瞬だけ戻った。
 それほど、彼のは余裕がなかったのであろう。

 その顔を見て。



      やはり…私達が居なくなった後は…ナルミ…君にならフランシーヌ様を託せる…



 どこか安心した様に呟いた。

 「ん?何か言ったか?アルレッキーノ?」
 「いや…」

        ボロン…。

 アルレッキーノはリュートをもう一度奏でると。

 「そろそろ、夜が明けるぞ…多少でも寝れば、しろがねの君なら完全に体力を回復するだろう。」
 「ふん…人形の指図なんぞ承けるか」

 更に、むすっと表情を顰め、言った。
 その顔を見て、可笑しそうに。

 「そんなに私が嫌いなのなら、この前の様に。」

 とんとんと、モン・サン・ミッシェルで、斬られた肩を叩いた。

 「そうさせて貰うぜ」

 お互い、顔を見合わせどちらかともなく、薄く笑い合った。

 「さてと…」

 どちらが言ったのか。
 二つの影は、離れていった。

 静かに、二人分の足音が真夜中の廊下に響き渡った。





 誰でしょうこのお二方?
 私設定で随分変わってしまいました。
 まあ、妄想産物ですが。
 結構前の作品です。
 イメージ的には、真夜中の耳鳴りがするような静けさ、ですね。

 BY シンプル。