笑、嗤。 ・参・



 ちゃっ。っちゃ。

 しゅっ。っしゅ。

 かちゃ。かちゃ。

 寂れた屋敷に隠れていた、大概の攘夷志士たちは大事の時が近づいてくるにつれて、皆、刀の鍔を弄ったり、素振りをしたり、武器の手入れをしたり、落ち着き無く時間を潰す。
 志士たちは、腹の中にどのような想いが込められているかお互い興味もないが、唯、皆腕は一流、この中に命を奪っていない輩は居ない。

 今回の大事は、大がかりな物のため、老いた侍は高杉の注文通り、目的問わず、取り合えず腕を重視したため、中には明らかに攘夷の為ではなく、殺しを純粋に楽しもうとわくわく(?)している、狂気の一線を越えてしまっている輩もいる。

 高杉はそんな中、別室で、窓辺に座り、素足をぶらつかせ、おやつの時間を楽しみにしている子供のように、古い掛け時計を見上げていた。
 別に、落ち着き無く動いてはいないが、彼の纏う雰囲気は実に楽しそうで、今にもはしゃぎだしそうなぐらいだ。

 それに対し、老いた侍は、先ほど高杉が寝転がっていた寝床の端に腰を下ろし、自身の愛刀に寄りかかっていた。
 一見高杉と正反対の、触ったら斬れそうなほど鋭い気迫を纏っているが、彼も何処か楽しみを待つように見えるのだから不思議だ。

 やはり、彼ら純粋な攘夷志士たちにとって攘夷とは生き甲斐でもあるのだろう。

 「……ふぅ……。」
 「…時計の針の進みが、やけに遅く感じますね……。」
 「あぁ。まだだねぇ。早く来ない…かな?」

 巫山戯口調で高杉は言葉を返した。老いた侍は、今度はそれに言葉ではなく口角を上げるだけの笑わない笑みで返す。
 高杉は、腰を上げ、きちんと着付けられた派手な着物のまま、ぼすりと、仰向けに老いた侍の側に倒れ込む、老いた侍は何も言わず、自分横に寝転がる彼に目を合わせる。

 かちっ、かちっ、かちっ、かちっ     

 切れることなく、規則正しい音色で時計の針は進む。
 
後、少し、後、少しだよ。っと、時間を持つ彼らをじらさんばかりに、、、









 パーティーの終わりの時間も近づいてきた。

 招待客の殆どは、ぱらぱらと時間を察して帰ってゆく、しかし、帰ってゆく客は皆、全て彼が本当の目的には関係のない客だ。
 なぜなら、カムフラージュ用に呼ばれた彼らは、特に主催者である牛面の天人と親しいわけではない、それで長居するのは厚かましいことだと重々承知しているのだ。

 それが主催者の狙いなのは、彼らの知らないことだ。

 「今夜は素晴らしいパーティーでした。大使、お招きありがとう御座いました。」
 「いえいえ。楽しんで頂けたのならこちらとしても嬉しい限りです。」
 「これからも、宜しくお願いいたします。」
 「はい、こちらこそ、今度の貴社の記念パーティー楽しみにしております。」

 牛面の天人はろくに認識もない、カモフラージュ用の客にも律儀に返事を返す。
 一種、性分なのではないだろうか。

 「はン!おいおい!大使サマァ〜。ンやつらどぉおだっていいだろぉお?」
 「いえいえ。人脈というのは広ければ広いほど便利なのですよ。どんなに細い物でも…ね。」

 牛面の天人は、熊似の天人に、諭すように言う。
 熊似の天人は、イライラと、近くのローストビーフを無造作に掴み、食らいつく(立食パーティーであるため料理は周りにある)。

 隣で静かに、カフスを留め直していた品の良い男は、これ見ようがしに眉をひそめ。

 「下品、下劣。」

 無表情で吐き捨てる。
 牛面の天人はやれやれと顔を潜める。熊似の天人は殴ろうと腕を振り上げるが、品の良い男は女性のような整った貌を、つまらなそうに顰めて僅かに体に逸らすだけで回避し、そして、品の良い男は、無表情に戻した貌のまま、熊似の天人の股間を思いっっきり蹴り上げる。

 めしょりッツ。

 「…っ!…ッツ!…ッツッツ!!!!…」

 これは予想外の行動だったらしく、回避に失敗した熊似の天人は股間を押さえて悶絶する。

 牛面の天人は、痛そうに厳つい顔を顰め(同じ性別として)、今度はリボンタイを締め直している品の良い男を見て、手に持っていた名簿に目を落とす。

 後、数人。牛面の天人は、苛烈で暴力的な笑みを浮かべる。

 「楽しみのしてますよねぇ、皆さん…支度は整っているのに、やれ、まだ帰らない方が居る
。」

 牛面の天人は、しかたないですねと呟き、秘書の矮躯の牛面の天人を呼ぶ。

 「すいませんが、帰っていない方々は?」
 「泥酔していまして…。」

 矮躯の牛面の天人は、その体を更に、申し訳なさそうに縮こめる。
 それを責めることなく、巨躯の牛面の天人は、車の手配を指示させる。泥酔者ぐらいなら何とか面目が付くのですからと。

 「さすがに、大使も、痺れ、きらしたか。」
 「すいません。お客人様の何人かが急かすもので…。」

 牛面の天人は、困った顔でため息をつく。

 「事は慎重に、済ますべきなり。」
 「ええ。そうしたいのは山々ですが…。」

 その時、唯一、パーティーに解放していなかった屋敷から聴くだけで悲痛なほどの悲鳴が上がった。   
 その後に、怒鳴り声と、肌を打つ乾いた音も。

 「いけませんねぇ…、商品にはあれだけ慎重に扱うようにと言ったのに…。」
 「値打ち減少。」
 「…いいンじゃねェ?…どうせ、買うヤツによってはもっと酷いことになるんだからよぉ。」
 「買われた商品はそうなっても良いのですよ。買われる前の商品は綺麗なままでなければ、値打ちが下がるんです。それだと元が取り戻せない、損をするのがこちらです。」

 ダメージから回復した熊似の天人の、余韻が残る箇所を押さえながら立ち上がり、会話に加わるという実に滑稽な行為に、牛面の天人は特に反応はしなかったが、心中は笑わないように必死だった。
 「大使ぃい。みぃいん〜なぁあ、帰りぃいましたぁあかぁあ?」

 屋敷から、体毛の代わりに蒼い鱗の生えた、犬を二足歩行にしたような天人が、へらへらとした笑いを浮かべてやってきた。その格好はパーティーに明らかに呼ばれた者の恰好ではなく動きやすそうな黒い装束をしていた。

 「先ほど、商品に手を挙げたのは誰ですか?」
 「すいませぇえん〜。ワタシク
ですぅう、商品がぁあ逃げ出そうとしたものでぇえ、ついぃい。でもご安心をぉお、傷は最低限ですませましたからぁあ。」

 へらへらと、手に持っていた鞭を弄りながらの全く悪気を感じさせない仕草だった。
 牛面の天人は、鱗犬の天人に、持っていた名簿で軽く小突くだけの実に軽い制裁ですませる。

 こんな制裁は、軽すぎるほどだ。

 「ではぁあ、御邪魔虫はぁあ、帰ったようなのでぇえ、すぐ始めるようにぃい、秘書様にぃい言いますねぇえ。それでは大使達もぉお、早めに会場へぇえ。」
 「はい。ご苦労様です。」

 熊似の天人は漸くかとばかりに、時計をのぞき込む、時間は予定されていた時間より少々早かったが、、、。










 かちっ、かちっ、かちっ、かちっ     

 高杉は、気怠げに時計を見上げると、針が目的の時を指していた。
 そして、同じタイミングで気付いた老いた侍は、高杉が立ち上がるより、一瞬早く老いた侍が立ち上がる。

 「時間だな…。」
 「ええ、行きましょう。皆そろそろ待ちくたびれたはずだ。」

 老いた侍は、寄りかかっていた愛刀を腰に差し、笑わない笑みを浮かべたまま言葉を返す。

 高杉は、そんな老いた侍を、頼もしいな。と、笑う。
 あれだけきっちり着付けられていた着物は、寝そべっていたためか少し乱れていた。

 高杉は、着物を更に態とくずす、動きづらかったのだろう。
 老いた侍は今度はそれには構うことなく見ていただけだった。

 今はそんなことより、彼の心をもう此処にはない大事を起こす、場所にある。

 それを表すように、老いた侍の笑わない笑みはぞっとするほど、冷たいモノへと変わっていたのだから。
 その冷たい笑いに、高杉は、自信と余裕と、何処か艶を感じさせる笑いで返した。
 高杉の笑いに、心此処に非ずだった老いた侍は一瞬にして引きずり返された。

 それは、間違いなく老いた侍が、初めて彼にあったときに、惹かれた強い笑い。

 老いた侍は、よろよろと、強制されたわけでなく、何かを誓い直すよう無言でに高杉の前に跪いた。
 老いた侍は、心の中で彼を、一回でも疑ったことを恥じたのだ。

 高杉は、脈絡もなく、己の前に跪いた彼の鍛えられた肩に、軽く細い手を置く、分かっている。と言葉以上にその仕草は語った。
 おずおずと、面を上げた老いた侍に、高杉は形容の出来ない表情で笑った。

 今の高杉は誰が見ても、絶対的に人を魅せ、強さと、カリスマ性を備える、多くの攘夷志士の上に立つ、強者に相応しい男だった。



 高杉と老いた侍は、志士たちを待たせていた部屋に態と大げさに扉を開け、入った。
 今か今かと、待ちわびていた志士たちは、それに、歓喜に震えた。
 
 高杉は、その人混みをかき分け、そしてそのちょうど中央まで進む。老いた侍を従えるように、老いた侍を脇に立たせる。

 
そして、彼にしかできない静かながら猛々しい笑みを浮かべ、大げさな口上などなしに唯一言。

 「祭りを始めるぞ…ッツ!!」

 志士たちの雄叫びが上がった。