笑、嗤。 ・弐・



 楽しげな笑い声。 

 高らかな音楽。

 美味そうな料理。

 多くの人のざわめき。

 郊外、と言うより、森の中に近い、寂れた別荘街のどこかの大きな屋敷、庭、屋内全てを使った、主催者曰くささやかな、一般レベルの人間からすれば豪勢なパーティーが開かれていた。
 とはいっても、公式のパーティーではなく、主催者の個人的なパーティーだ(名目としては、「地球でお世話になった方々への謝恩パーティー」となっている)。
 しかし。こういった権力者のパーティーというものは時として、別の意味を、裏の意味持つ。

 「紳士、淑女の皆様。ようこそ、我が屋敷のパーティーへ。ささやかながらこんなにもたくさんのお客様にお越し頂き実に光栄です。今宵はごゆるりとお過ごし下さい。」

 パーティーの主催者は、幕府お得意さまの星の大使の天人だ(姿はちょうど、ギリシア神話のケンタウロスに似ている)。

 「素晴らしいパーティーですなぁ。愚生のような一介の役人である輩が来てよいものなのか。」
 「いえいえ。この間開かれた貴方様のパーティーに比べればこんなもの…。」
 「相変わらず、ご謙遜な。」
 「あらあら、天導衆の方々とも親しいでいらっしゃるんでしょ?ホントに羨ましい限りですわ…。」
 「はは、あの方達に見初められたのは、運が良かっただけです。」
 「いや、貴殿の実力はホンマのもんでっせ。」
 「あまり言わないで下さい。照れます。」

 次々と話しかけてくる(媚びへつらっているとも言う)地球人、天人
に、その大使は厳つい牛面に浮かべた笑みを崩すことなく、あくまで卑下した物言いで対応してゆく。
 彼は殆ど、モノも食わず、自身に話しかけてくる輩を、完璧な礼儀作法で唯対応している。
 あっと言う間にパーティーは終盤へと近づいていく、主催者である彼は、ある意味一番忙しい立場にいりようなモノだ。

 そして、かなりの人数に対応している彼を。彼の秘書だろうか、同じタイプの彼より一回り小さい天人が彼を呼んだ。

 「失敬。」

 あくまで彼は、笑みを浮かべたまま、人混みをやんわりと割って、自身を呼んだ輩の元に行った。
 そして。

 「準備が整ったのですか…。」

 人混みから抜けた瞬間、貼り付けていた人当たりの良い笑みが、一気に崩れ、苛烈な暴力的な笑みに挿げ替える。
 いや、こちらの笑みの方が彼の本当の笑い顔らしい。

 「はい、おおよそは。」

 巨躯の牛面の天人は、矮躯の牛面の天人を覆い隠すように、体を折って耳元で聞こえるか聞こえないか程度の声量で、また新たな指示を出す。
 矮躯の牛面の天人は、その指示を忠実に果たすため、屋敷内へ戻る。

 「ふっ…。」

 巨躯の牛面の天人は、一呼吸置いて、笑みを人当たりの良い方へ戻し、人混みへ戻る。

 「どうかしましたか?」
 「いえ、秘書の方が、パーティーの細々としたことで…。困ったものです。」

 苦笑を浮かべ、話しかけてきた、ひょろっとした気の弱そうな若い男に返す。
 此奴は誰だったか、、、。一瞬記憶のパズルを捜すとピースが繋がり、そういえば、この男は、本当に一度だけ二、三、話しただけのどこぞの会社の御曹司だ。と思い出す。
 彼が呼んだわけではなく、秘書に適当に招待させた、パーティーらしく不自然じゃない程度に、ある程度の人数を確保するためのカムフラージュ用の客だった。

 多分呼ばれた本人も、何故呼ばれたか驚いたことだろう。


 まあ、彼の父親の方も、親しいとは言えないまでもそこそこの仲だ。
 多分、彼の父親もカムフラージュ用の客のなかに捜せばいるだろう。
 どっちみち、今回のパーティーの本当の目的に関係のない。

 牛面の天人は、差し障りのない程度に、言葉を交わし終わると、今度は、このパーティーの本当の目的のため呼ばれた、長髪の品の良い地球人の男と、よく熊に似た、顔以外真っ黒な毛皮に覆われた天人の男が近づいてきた。

 「大使、あれは何時から始まる?」
 「俺ら、たンのしみにしてんだゼェ?」

 二人とも、ちらちらと高価そうな自身の時計をのぞきながら急かすように、牛面の天人に言う。

 「まあ、そう焦らずとも、減るものじゃありませんよ。」
 「はっ、言うな。『時は金なり』だっつーの。こんな待たせる時間があるんだったらよぉ、いくら稼げると思ってンだぁ?」
 「同じく。」
 「これは、これは。一本とられましたな。」

 牛面の天人は、この二人には本当の苛烈な笑みで対処し、しかし慇懃な態度はあくまで崩さない、どうやら慇懃な態度はこの牛面の天人の性格のようなものなのだろう。

 「だが、大使…。」

 品の良い男は、濁している言葉で何か言いたげだ。

 「幕府ですか?そっちの方は…、傀儡共に何も出来ません。天導衆様も影ながら支援して下さって…。」
 「違う、自分が言いたきことは、そちらではない。」

 そんなもの問題外だと言わんばかりに、純白の手袋をはめた手を此見よがしに振る。

 「何か、他に不安の種でも?」

 品の良いの男は、長い髪を、どこから出したのだろうか、紐で長髪を束ねてオールバックにした、
意志の強そうな太い眉毛がいかにも不快気につり上がるのが、はっきりと分かった。

 「五月蝿き、小賢しき、目障りな、攘夷志士共なり。」










 「おお、やってるやってる。」

 眼帯の男、高杉は、既に美酒や美食におぼれ唯の騒ぎと化している、パーティーを、ある寂れた別荘の一つから、遠眼鏡で除いていた。
 唯その体勢というのが、柔らかそうな寝床に寝ころびながらキセルを銜えているという、今から大事を行おうとしている人にあるまじきようなものだった。

 「高杉殿。全ての準備は整いました…。」
 「あ、あぁ…。」
 「しかし、まだ、機は熟しておらぬようですな…。」
 「んっ。」

 老いた侍は、ろくな返事をせず、面倒くさげにはだけている着物を弄る、高杉を胡乱げに見る。

 これが、少し前に自分たちを圧倒した男と同一人物とは思えなかった。
 刹那の殺戮をこなし、あの後、言葉巧みに自分たちをこの作戦へと誘った男とは、、、。

 「おいおい、そんな眼で見るな…。信用ゼロってことか?」
 「零ではないですね…。まあ、限りなく零には近いですが…。」

 あれ以来彼は、指示を出すだけで、ごろごろと怠けた生活をしている。
 本当に、あのときの男とは、老いた侍はにわかに信じられないと、ふと思うぐらいだ。

 「くっく、遠回しに信用ゼロと変わらないですって言ってるもんだ…。あんた、こう見えて、皮肉とか洒落とか通じんのか?」

 いいねえ。と楽しげに笑う。老いた侍は、重い重いため息を返事代わりにつく。
 どうやら、会話をすることに疲れたらしい。

 「ここ半月…、この準備をしていて。貴方とまともに付き合うことは、無駄な労力を使うと分かりましたので…。」

 たっぷりと、皮肉を込める。高杉の言葉は遠からず当たっているらしい。

 「それより、高杉殿、着物ぐらいそろそろ整えて下さい。もうすぐなのですから。」
 「あ、んっ?」

 一瞬、呆けた声を上げる。
 老いた侍に、ほぼ裸に近いような状態まではだけ捲れている自身の服装を、眼で促されて漸く気付いた。
 上肢の着物は、肩はむき出し、細い背は隠すことなくさらけ出されていて。下肢の方は、、、生娘なら目も向けられないほど乱れている

 じっとっとした、無言の非難を投げかけられた高杉だったが、いいじゃねえか。とにその非難に返す。

 「私は、そう言う態度は好きじゃありませんね。理解に苦しむ…。」

 高杉の素肌に着物一枚の恰好に比べ、老いた侍の服装はぴしっとしていて、着物には皺一つ無く、乱れているなんて箇所は一つもない。

 「まあ、そんな意地悪言うなよ、
俺は結構アンタを気に入ってるんだぜ…。」

 高杉は、残念と言った具合でむき出しの白い肩をすくめる。
 ころと、広い寝床の上を転がりながら、彫りの深い顔を更に彫り深くしている、老いた侍に眼を流す。

 「オレは馬鹿は好きじゃあない。その眼、その腕、ホンモンだ。アンタが集めてきた侍共、腹の中はともあれ腕はある程度の一線を越えてきた強者揃いだ。それに、下準備も殆どアンタがやってきたと言っていい。見事だ。」

 ぱんぱんと、からかうような力無い拍手で、労いの言葉をかける。

 はぁと、嬉しくもないと言いたげに、老いた侍は深く深くため息をつく。
 この人と、付き合っていたら、同年代に堂々と自慢できる髪の量が不安になってくると、心密かに彼は考える。

 「取り合えず、お言葉は、ありがとう御座います。高杉殿…。」

 まったく、感謝の、「か」の字も含まれていない抑揚のない、文字通り棒読みの言葉を言い、そして、ですから。と、言葉を切る。
 高杉の服に再び視線を移す。

 しつこいなぁ、、、。と、高杉は面倒くさいと同じ意味の言葉を吐く。そして、良いことを思いついたとばかりに、にたっと、笑う。
 そして、老いた侍に力無く片手を差し出す。

 「なんでしょう?」
 「着させてくれよ。」
 「はぁ…ッ?」

 まさしく、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔になった老いた侍にしてやったりと、高杉は嬉しそうに、楽しそうに今度は、力強く手を叩き、足をばたつかせて笑い出す。
 阿呆か、、、。と、老いた侍の口が動くのを確かめた。

 「冗談…でしょう…!?」
 「本気も、本気。」

 だから、ほらと。楽しげな声音で細い片手を伸ばす。
 老いた侍は、これ以上の抵抗は無駄で疲れると悟ったのか、腹をくくったように高杉の着物に手を伸ばす。
 帯をほどき、殆ど乱れていたため着ていたとは言いにくいが、着ていた着物を引っぺがし下着一枚にする。
 老いた侍は、脱がせて気付いたが高杉が纏っていたのは肌襦袢、常識的にこれで一枚で外に出すのは憚られる。老いた侍は、適当に服を入れている葛籠から服を取り出し、高杉に着せようとする。

 しかし、高杉はいやいやと首を振る。どうやら彼の趣味に合わなかったらしい。

 老いた侍は、一瞬ぶっ飛ばしてやろうかと思った(着せて貰っている身分で贅沢とは!)。

 それで、彼が普段着ているような派手な服を選ぶと、満足げな笑みを浮かべてうんうんと首を振る。どうやらお気に召したらしい。

 老いた侍はぶっ飛ばしてやりたい気持ちを拳を握りしめるだけで我慢する。
 後は、だらりと力を全く入れていない肢体を起こし、着物を着させ始めた。

 老いた侍は、だらりと力無い肢体をさらしている高杉を見て、この状態なら得物など使わず、攘夷志士の中でも最強クラスと実力を持つ彼を、老いた自分でも、この細い首に手をかければ、殺せるのではないかとふと考える。
 こんな怠けている男に、本当に今回の作戦を任せて大丈夫なのかと、自然と手が高杉の首に伸びる。
 そして。

 「…怖いなぁ…俺を殺す気か…?」

 その言葉に、、、否、その言葉の響きに、びくりと、老いた侍は首にかけていた手を熱いものを触ったかのように瞬間的に離す。

 老いた侍は、自分の背に冷たい汗が一気に噴き出したのを感じた。
 間違いなく、自分はこんな丸腰の男にでも勝てない。そう、生死のやり取りの中に身を置いてきた彼の勘が警鐘を鳴らしたのだ。

 そんな、老いた侍の思考を知ってか知らずか、高杉は、へらへらとした声音に変わり。

 「ん?…どうしたんだよ?…手を休めんなよ。さっさと、ほら、ほぉら。」
 「あ、ああ…。」
 
 こくりと、嫌な味がする唾を嚥下し、老いた侍は、改めて高杉に肌襦袢を着せだした。

 後は素早く、着物を整えてゆく。手慣れた手つきともいえた。

 こわごわと、着物を直していく彼。珍しいとも滑稽とも言える。普段の彼を知る、彼を慕う侍達が見たらさぞかし驚くだろう。

 「へぇ…。あんた女でも抱き慣れてんのか?」
 「下品な想像をするな…。」

 老いた侍は、見ようによっては精悍な顔を僅かに朱に染める。
 どうやら違うらしい。

 「はは、アンタ何でも出来るんだな。」
 「……っつ。」


 老いた侍は、その言葉に、なんとも言えない顔で、面を伏せる。
 高杉は、きょとんとした顔で老いた侍の伏せた顔を覗こうとした。

 「…何も出来ない方に…仕えていたからな…」

 老いた侍は消えるような声で、そう、呟いたのを高杉は聴いた。